<2008.4.27> 岩魚は木葉の様にヒラヒラと

・・・皆が谷を歩いておると 向こう岸の大きな雑木 そのとんでもない高い枝に何やら白いものがヒラヒラと・・・

此れは昭和三十四年 伊勢湾台風一過の朝 被害状況を見回った村民の話を書き残されたものである

木の葉の様にヒラヒラ揺れていたのは 土石流により押し流され 偶然にもその巨木の枝に刺さった不運な

大岩魚で 如何に想像を絶する出水で有ったかは 現地へ赴かねば思い描く事すら出来なかった

既に標高は可也

堰堤下へ釣友が
この話の基となるのは 滋賀県は姉川沿い最終集落甲津原での話で その昔曲谷から先は急峻で人の住む

限界と思われていたが 谷沿いに刻まれた際どいルートを進んで 辿り付ける正に隠れ里に相応しい佇まいだ

現在は曲谷上部に 姉川ダムが完成長く刳り貫かれたトンネルを抜けると一気に甲津原集落に出てしまう

標高は低い所で 500mばかり 高い位置なら1000m程か?

前日の雨に増水気味

最初のチビ
古き良き時代 著名な釣師も良くこの地へ訪れたらしく 幾つもの随筆釣行記が残る 先の村民による

体験談を書き残された熊谷栄三郎さんに 下の甲賀地名を忍者の里と間違えた佐々木一男さん 

数多の著書にその名称は見当たらなかったが 立地の特徴彼の生き様からも きっとこの地を訪れたに

疑いない 故山本素石さん等々 長い年月気になる逸話が幾つも残るこの地へ 脚を向けた事 訪れた事が

無かったのは 姉川の現在釣り場としての有り方に原因した 商業化へと力を注ぎ恰も管理釣り場然と化した

釣りはどうにも気が向かず 訪れる機会が無かったのが偽らざる処で しかし今私自身の前夜からの出発が

侭ならない事情に 物見胡散なお気楽釣行も悪くないなと思いつき 手は電話器に伸びていた。

此れくらいのが次々と

下の大場所で粘る釣友
電話の向こうは 姉川漁業組合長宅で 一通りの挨拶の後徐に切り出す

「今度 そう近いうちに一度お邪魔したいと考えてるのですが」

「はいはい それは是非いらっしてください」

「入漁手続きとか?地理にも疎いですし釣り場情報などは??」

「判り易い様に 旗でも掲げお待ちします ガイドは若い者にでも」

「しかし黄金週間に入ります 入漁者数は多くありませんか? 常連皆さんの邪魔をしては」

「解禁当初でもありませんし そうは大勢来ませんよ」

実はこのなんちゃって釣行計画 この時点でもう一箇所候補が挙がって居ましたが こうまで言われれば

もぅ行かねばなるまい 

甲津原集落下の流れ

此れくらいか?
あれぇ??なんだなんだ凄い車の数じゃんけ それもその密度が半端じゃぁ無い 広めの駐車スペースには

ひぃふぅみぃ。。4.5台の釣人の車が 皆室内灯の下でがさごそしてる? 約束より早く到着した事で渓沿いに

先に進むと 流れに降りれる場所と言う場所には 例外なく釣り人の車が止まり縄張り主張でもしてるようで

それが延々と続いて行くではないか 目の前に広がる現状を前に 段々後悔が頭をもたげ出した

堰堤の頭へと荒れた路 普通車では乗り込めないスペースへ車を突っ込み まずは試釣りと同行者を堰堤下に

見送るとその上部へ竿を片手に歩みだした ”うっ!つめてぇ” 増水の痕が伺える渓は切れるような冷たさで

食い気の渋さを確信 アマゴも居るらしいが此処は岩魚狙いが妥当かもしれない バシャバシャ。。 荒っぽく

たち込んでも一向に魚影は走らない ここぞと言うポイントでは魚信さえも無かった 見落としやすい場所を

早いテンポで拾い釣りして 幾つかのチビ岩魚を手にする 魚体のコンデションは悪くない 何程も行かないうち

谷を仕切る堰堤にぶちあたる その上を伺うと2.3台の車 釣り人の影もちらちら? 打ち合わせもそこそこに

置いてきた仲間が気になり一旦釣友の下に 粘り続けた彼は 幾つかのアマゴを手中にしていたが これは

成魚放流によるものと踏んだ 遅れ遣ってきた関係者の進めで移動してはみたもの 行き交う釣師の車に

入れ替わり立ち代り現れる竿片手の人人人。。 まだ朝のうちだが早い撤収を決め車に乗り込んだ

車窓から見える 平家の落人部落と言われた甲津原 ダムの完成とともに面影は見つけ出す事も出来ない

対岸に揺らぐ古木の木の葉はヒラヒラ揺れて   あ!あれは串刺しに成った岩魚? そんな白日夢をみた

                                                            oozeki